デザイナーとプログラマーの友人が、いまはいちばん頼りになる。いままで一度も「編集者の友人がいてくれて頼りになる」と言われたことがないのは、きっとあまり頼りにならないからだろう。
出版業界崩壊(あるいは再構築)後の、編集者やライターの再就職=キャリア設計問題。これ、本気でとりくまないと大変なことになると思う。わがこととしても。
2年前に「路字」をはじめたのも、コミュニティと編集、という組み合わせに新鮮さを感じたから。同じ理由で、最近は企業との仕事も楽しい。企業もひとつのコミュニティであり、外からの視線による編集をもとめている。
正直な話、出版業界とする編集の仕事が、いちばん刺激が少なくてつまらないし、お金にならないのだよ。
「○○を編集する」、の○○に相当するものをどんどん広げていけば、いくらでも編集者の仕事は存在すると思う。むしろこれまでの出版の世界の外に。
編集とは、人やコミュニティや集団がもつ価値を、当事者の意思を超えて無意識のところまですくい取り、可視化してプレゼンテーションすること。そのためのパッケージ化を、デザイナーやエンジニアと協業で行うオルガナイザーであること。
そう考えたら、「編集」の仕事はまだまだたくさんある。そういう仕事をするときは、「編集者」という肩書きではないほうがいいのかなぁ。一般的に、そういう仕事はなんと呼ぶのだろう。
これからの編集者は、1)出版企画をビジネスとして成功させ、レベニューシェアで編集印税を得る 2)広義のコミュニティのオルガナイザーとなり、営利目的以外の価値で対価を得る、の二つに分化していくのではないか。個人的には、後者として機能する領域を拡大したい。
たとえばいろんな企業と仕事をしてみて思うのは、彼らが驚くほど自分たちのもっているメディア的な価値に無自覚であること。自己評価と外からの評価において、外からの評価が高い場合、それを可視化してあげることは、むしろクライアント自身にとって意味をもつ。
そういう意味ではたしかに編集という仕事はコンサルティングに近いかも。もちろん、コンサルだけではお金がもらえないので、メディアをつくる。実際になにかをつくってみないと、分からないことのほうが多い。
「路字」も、フリーペーパーをつくることは目的ではなくて、町にコミットするための手段だった。メディアをつくることで、目に見えないコミュニティを可視化させることができる。それは「マガジン航」も同じ。ウェブやフリペのいいところは、スタートアップの容易さにある。
(via:<a href="http://handa.tumblr.com/post/447432341">handa</a>) (via <a href="http://nakano.tumblr.com/" class="tumblr_blog">nakano</a>)